大阪地方裁判所 平成4年(ワ)906号 判決 1992年10月29日
スイス国八七五〇 グラールス ブルクシュトラーセ 二八番
原告
シャネル エス アー
右代表者
アルフレッド ヘール
右訴訟代理人弁護士
田中克郎
同
松尾栄蔵
同
宮川美津子
同
水戸重之
同
髙市成公
同
千葉尚路
同
山口芳泰
大阪府東大阪市若江北町三丁目五番一号
被告
株式会社シヤネル
右代表者代表取締役
松本茂夫
主文
一 被告は、その営業上の施設又は活動に「株式会社シヤネル」の商号及び「シャネル」の表示を使用してはならない。
二 被告は、昭和五一年一〇月二一日大阪法務局東大阪支局においてした設立登記中、商号「株式会社シヤネル」の抹消登記手続をせよ。
三 被告は原告に対し、金三〇万円及びこれに対する平成四年二月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
四 原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
一 主文第一、二項同旨
二 被告は原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成四年二月一三日(訴状送達日の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 原告の営業と営業表示(甲四六、弁論の全趣旨)
原告は、ガブリエル・シャネル(通称ココ・シャネル)の創設したいわゆるシャネル・グループなる企業グループに属するスイス法人である。シャネル・グループは、現在、持株会社であるシャネル インターナショナル ビーヴィ(オランダ法人)を頂点に、商標その他の知的財産権の管理等の法的事項を管轄する原告のほかに、フランス法人シャネル エス アー(ガブリエル・シャネルが大正一〇年〔一九二一年〕に「シャネルNo.5」という香水を開発し、その製造、販売のために設立した会社「レ パルファム シャネル」が昭和二九年〔一九五四年〕に商号変更した会社)をはじめ、高級婦人服、香水、化粧品、ハンドバック、靴、アクセサリー等の「シャネル」又は「CHANEL」の商標を使用した製品(以下「シャネル製品」という。)の製造、販売を目的とする会社が世界各地に一〇社以上存在し、右シャネル製品の製造、販売の営業表示として「シャネル」(以下「原告営業表示」という。)を使用している。
二 被告の営業と営業表示(被告代表者本人、弁論の全趣旨)被告代表者は、昭和三三年に「シャネル」(以下「被告表示」という。)を営業表示として使用して個人経営の貸おしぼり業の営業を始め、昭和五一年一〇月二一日これを法人化して被告を設立し、<1>商号を「株式会社シヤネル」(以下「被告商号」といい、被告商号と被告表示とを一括して「被告営業表示」という。)、<2>目的を「貸オシボリ業、喫茶レストランの必需品販売」、<3>本店所在地を「大阪府東大阪市若江北町三丁目五番一号」として被告の設立登記手続をし、大阪法務局東大阪支局備付けの商業登記簿にそのとおり登記されている。被告は、現在、看板、印章、ゴム印、印刷物、営業用車両等の営業上の施設・備品に被告営業表示を使用している。
三 請求の概要
本件は、原告が、原告営業表示が高級イメージを持つ世界的に著名なブランド名であり、我が国においても遅くとも昭和三〇年頃には周知となったとして、被告に対し、不正競争防止法一条一項二号、一条の二第一項又は民法七〇九条に基づき、<1>被告営業表示の使用停止、<2>被告商号の抹消登記手続、<3>営業上の損害(二〇〇万円)及び弁護士費用の損害(一〇〇万円)の賠償を請求した事案である。
四 争点
1 原告営業表示が、我が国においていわゆる周知性を取得したか。
2 被告営業表示は原告営業表示と類似しているか。
3 被告営業表示は原告営業表示と混同を生じるか。
4 被告の行為により原告の営業上の利益が害されるおそれがあるか。
5 以上が肯定された場合
(一) 被告に故意過失があるか。
(二) 被告が賠償すべき原告に生じた損害の金額
第三 争点に対する判断
一 争点1(原告営業表示の周知性取得の有無)について証拠(甲一四~二三、三五~四六)及び弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。
1 原告は、ガブリエル・シャネルの創設したいわゆるシャネル・グループと呼称される企業グループに属するスイス法人である。シャネル・グループは、現在、持株会社であるシャネル インターナショナル ビーヴィ(オランダ法人)を頂点に、商標その他の知的財産権の管理等の法的事項を管轄する原告のほかに、フランス法人シャネル エス アーをはじめ、高級婦人服、香水、化粧品、ハンドバック、靴、アクセサリー等のシャネル製品の製造、販売を目的とする会社が世界各地に一〇社以上存在し、右シャネル製品の製造、販売の営業表示として「シャネル」を使用している。
原告営業表示の起源は、シャネル・グループの創始者であるデザイナーのガブリエル(通称ココ)・シャネルが大正三年(一九一四年)にフランス国パリ市カンボン通りに帽子店を開いたことに始る。ガブリエル・シャネルは、同年にはフランス西海岸ドーヴィルにもブティックを開店し、その後大正五年(一九一六年)第一回の婦人服コレクションを発表したが、当時流行していた華美な装飾を排した簡素で洗練されたそのデザインが好評を博し、以来今日に至るまで原告営業表示は、「シャネルルック」や「シャネルスーツ」等の造語を生み出すほどに高級服飾品の世界的有名ブランドの一つに成長し、その製品は斯界で高い評価を得ている。
ガブリエル・シャネルは、大正一〇年(一九二一年)に「シャネルNo.5」という名称の香水を開発し、レ パルファム シャネルという会社を設立してその製造、販売を開始したところ、一躍脚光を浴び現在に至るまで右香水は世界的なベストセラー商品となり、昭和三四年(一九五九年)にはそのボトルがニューヨークの近代美術館に展示保存されるまでになった。
2 我が国においては、昭和八年に初めてシャネル製品の香水が輸入、発売され、昭和一〇年には別紙(一)記載の商標について、また、昭和一四年には同(二)記載の商標について、いずれも「第三類香料及他類ニ属セサル化粧品」を指定商品として登録の出願公告がされ、その後登録されている。
3 我が国の戦前から戦争直後の頃にかけては、その社会、経済情勢及び当時の一般国民の生活様式等から考えて、高級婦人服や香水等のブランド名である原告営業表示が一般国民の間に広く知られていたとは言い難いけれども、昭和二九年に米国の映画スターのマリリン・モンローが来日した際、インタビューの中で、寝るときの服装に関する質問を受け、「シャネルの五番を着るだけよ。」と答えたという話が全国的に喧伝されてからは、彼女の映画スターとしての人気にあやかっただけでなく、当時の経済復興の時代背景とその頃一般に蔓延していた舶来品崇拝の風潮とが相まって、急激に香水「シャネルNo.5」の名称とともに、その頃原告営業表示が一種憧れ商品のブランド名として我が国において広く一般消費者に知られるところとなった。
4 その後、我が国では昭和四四年六月にリーベルマン・ウェルシュリー社がシャネル製品の輸入販売総代理店となって更に販路の開拓と知名度及び企業イメージの向上に努め、昭和五五年一〇月には新たにシャネル株式会社が設立され、従前のリーベルマン・ウェルシュリー社の業務を引き継ぎ、以後同社がシャネル・グループの一員として我が国におけるシャネル製品の輸入、販売に当っている。現在、国内におけるシャネル・ブティックは、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、札幌等全国に一八店舗あり、そのほかにも、シャネル製品の化粧品や香水等を取り扱うコーナーは全国各地の有名百貨店約二〇〇店舗に設けられている。
シャネル株式会社は、このようにしてシャネル・グループに属する企業の努力によって確立された、洗練された高級品のイメージと結びついた原告営業表示の持つイメージの維持、向上のために、毎年多額の費用を投入し、同時に雑誌等の広告媒体とそこに掲載する広告内容も厳選して、さらにシャネル製品の宣伝広告と企業イメージの確立に努力する一方で、世界的視野から、他のシャネル・グループの企業と共に商標権及び意匠権の国際的保護を目的とするフランス国の公益社団法人である「ユニオンデファブリカン」の会員になってその活動に協力し、我が国では弁護士事務所を通じて多数の原告営業表示の不正使用者に対し、その使用中止を求めるなどの法的手続を進め、原告営業表示の維持発展に努めている。
以上のとおり認められ、右認定事実によれば、原告及びその関連企業が創業以来の積年の企業努力及び多額の投資によって、その知名度の向上に努めた結果、「シャネル」といえば、原告を含むシャネル・グループを出所とする婦人服、香水等の製品の世界的な著名ブランド名として、洗練された高級品イメージを想起させる機能を持つに至ったものと認められ、原告営業表示は、遅くとも昭和三〇年頃以降現在まで我が国において原告を含むシャネル・グループの営業であることを示す表示として広く認識されていると認めるのが相当である。
(被告の旧来表示の善意使用の主張について)
この点に関する被告の主張は次のとおりである。被告代表者松本茂夫は昭和三三年から被告表示を、被告は昭和五一年一〇月から被告商号を、いずれも善意に使用している。すなわち、原告営業表示は、東大阪市地域において昭和三三年当時は全く知られていなかった。被告代表者松本茂夫は、個人経営の貸おしぼり業の営業を始めるにあたり、当時自らも髭を蓄えていたため、その頃偶々目にした書籍の中で自分と同じように髭をはやした「シャネル男爵」なる人物の顔写真を見たことから、これにヒントを得て自己の営業の営業表示を「シャネル」として営業を開始継続し、昭和五一年一〇月右個人営業を法人化した際被告表示の使用を承継することとして、個人営業時代の被告表示を利用して商号を「株式会社シヤネル」と定め、その旨設立登記をしたものであり、原告営業表示の存在を知らずに右商号、営業表示を使用したのである。したがって、被告による被告営業表示の使用は不正競争行為には該当しない。
しかしながら、原告営業表示が、前記認定のとおり、我が国において遅くとも昭和三〇年頃には周知となったと認められる以上、昭和三三年以降の被告営業表示使用を内容とする不正競争防止法二条一項四号の被告主張は採用できない。
二 争点2(表示の類似性の有無)について
被告表示「シャネル」は原告営業表示「シャネル」と同一である。また、被告商号のうち、「株式会社」は会社の種類を示すものにすぎないから、被告商号の要部はこれを除いた「シヤネル」部分であり、これは原告営業表示「シャネル」と酷似している。したがって、被告商号が原告営業表示と類似することは明白である。
三 争点3(混同の有無)について
今日の経営の多角化現象の下においては、一般に、著名な営業表示と類似の営業表示を使用する者は右著名な営業表示の主体と何等かの業務上、組織上の関係があるのではないかとの印象を第三者に対して与えるものと認めるのが相当である(甲二三~三四、弁論の全趣旨)。そして、前記認定のとおり、原告を含むシャネル・グループは、原告営業表示の下に、婦人服や香水等の製造・販売業を営む企業であるとの認識が一般消費者や需要者の間に広く浸透しているうえに、被告営業表示は原告営業表示と同一又は酷似しているから、原告・被告間の現実の事業内容は異なっていても、被告が被告営業表示を使用して貸おしぼり業を営むとき、一般消費者もしくは需要者において、原告・被告間に何等かの緊密な業務上、組織上の関係があると考えるおそれ、すなわち広義の混同が生じるおそれがあるというべきである(シャネル・グループがその営業の範囲を現在の事業分野にのみとどめ、これを拡張する意図を有していないとの認識が、広く一般消費者や需要者の間に浸透しているとは認められない。)。
四 争点4(営業上の利益を害されるおそれの有無)について
被告における被告営業表示の使用は、前判示のとおり原告を含むシャネル・グループが創業以来の積年の企業努力及び多額の投資によって獲得した原告営業表示の顧客吸引力(信用)ないし指標力(営業主体表示力)を希釈化させ、原告を含むシャネル・グループの積年の企業努力と宣伝活動によって得られた右表示のイメージにただ乗りし、これを不当に利用利得するものと言わざるを得ない。被告営業表示の使用により、原告を含むシャネル・グループの投下資本の回収が阻害され実質的に原告を含むシャネル・グループの営業上の利益が害されるおそれのあることは明らかである。
五 争点5について
1 (被告に故意過失があるか)
被告代表者が被告表示を使用して個人経営の貸おしぼり業を開業した当時、我が国において原告営業表示が周知となっていたことは前認定のとおりであり、前記認定の原告営業表示の著名度に被告代表者の年令及び事業経歴等を併せ考えると、同人がその当時原告営業表示を知らなかったとは考え難く(この点に関する同人の供述は採用できない。)、「シャネル」の名称をシャネル男爵の名にヒントを得て採用したとしても、同人は著名な原告営業表示を認識した上で被告表示の使用を開始したものと推認するのが相当である。そうすると、被告には、被告営業表示を使用して原告営業表示と前記の意味での混同を生じさせることについて過失があったものと言わざるを得ない。
2 (被告が賠償すべき原告に生じた損害の金額)
(一) 営業上の損害について
原告の被った営業上の損害については、これを認めるに足りる証拠はない。
(二) 弁護士費用について
原告が原告訴訟代理人の弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任したことは本件記録上明らかであるところ、本件事案の内容、本件訴訟の経過、請求認容の内容等に鑑み、被告の行為と相当因果関係のある損害として賠償を求めることができる弁護士費用の額は、金三〇万円が相当であると認められる。
なお、仮執行の宣言は、必要があるとは認め難いので、これを付さない。
(裁判長裁判官 庵前重和 裁判官 小澤一郎 裁判官 辻川靖夫)
別紙(一)
昭和十年
商標出願公告四三三八號(外国登録商標)
願書番號 昭和九年第二五八七四號
出願 昭和九年十二月二十八日
公告 昭和十年五月十六日
<省略>
指定商品 第三類
香料及他類ニ屬セサル化粧品
佛蘭西國セーヌ縣ニユイー、シユール、セーヌ市
アヴエニユー、ド、ニユイー一三五乃至一三七番
出願人 レ、パルフアン、シヤネル
大阪市東區北濱五丁目六十三番屋敷
代理人 辨理士 淺村三郎
外一名
別紙(二)
28 昭和十四年
商標出願公告第九七〇二號
商書番號 昭和十四年第一二五〇四號
出願 昭和十四年六月三日
公告 昭和十四年八月十日
合商標登録番號 二六七五五〇
<省略>
指定商品 第三類
香料及他類ニ屬セサル化粧品
佛蘭西國セーヌ縣ニユイー、シユール、セーヌ市
アヴエニユード、ニユイー、一三五乃至一三七番
出願人 レ、パルフアン、シヤネル
大阪市東區北濱五丁目二七番地
代理人辨理士 口菅二